タイトルだけじゃ、何の事だか分からんよねw
ごめんなさい。
今日は、先日コメントを残してくれた『かずくん』についてです。
『かずくん』について・・・と言っても、逢った事もありませんし何処の誰なのかも知りません。ブログを覗いて見た印象だけですが、小生の第一印象は結構当たるんですよ。
まずは皆さんも、一度『かずくん』のブログをのぞいて見て下さい。
↓
http://kazukame.blog96.fc2.com/パッと見た印象だけど、可愛らしいモスグリーンベースのテンプレに優しさをうかがえる。まだ始めたばかりみたいだけど、アフェリの為に量産しているブログではなさそうなので好印象!
記事を見ると、高田渡・・・?小生が若い頃のスターやんか!
何で今・・・?
それならついでに岡林も聞いてみたら?たくろうや陽水とは違った良さがあるで!
教育問題のところなどは、論旨明快にして文章も読みやすし。おぬしなかなかやるなw。
バイト?大学生なんだ・・・。歳は19か20といったところか。
その歳で高田か?シャレと皮肉が分かるなんて、なかなか人としての裾野が広そうだね。ますます好印象!
鴨川が好きなんだ・・・。
千葉?京都?
理学部だから環境問題関係に進みたいのか・・・?
もしかして京大?(だとしたらスゴ!)
という事で、今回はかずくんにちなんで環境問題に少しふれてみようと思う。
が、本質的な環境問題を考え出すと、それだけで別ブログを立てたくなるので、ここでは止めときます。
日本で環境問題がクローズアップされ始めたのは15年程前からであっただろうか。93年位からISO9000とか14000シリーズが紹介され始めたが、最初はなかなか相手にもされず、90年代後半から温暖化問題が取り上げられるようになり、ISO9000とか14000シリーズも徐々に浸透し始め、今では企業の環境問題への取り組みは優良企業としての必須条件となってきている。ISO14000の取得も企業のブランディングに必要なレッテルと言えよう。
まあ、やらないよりはやった方が良いのは当たり前なのだが、日本の環境問題への取り組みと言うのは、経済の論理・企業の論理によって掏り代えられている。
『環境に良い』と『環境に優しい』は同じような言葉だが、企業論理の中では大きく違う。
自動車を例に考えてみよう。
自動車業界の環境への取り組みと言えば、燃費効率の向上、ハイブリッド車、電気自動車、燃料電池車という事になる。今のところ低公害車(燃費効率の向上)とハイブリッド車がメインだ。車単体で見た効果は評価すべき点であるが、仮に10%燃費が向上しても、車の稼働率が10%増えたり保有台数が10%増えれば、国全体で見るとプラマイ0になってしまう。増加再生産を信条とする企業論理では今まで1000ccの車に乗っていた人には1500ccの車を勧めるし、販売台数の増加も至上命題だ。
つまり燃費の向上は車単体で見た数字のマジックに過ぎない。問題なのは排ガスの総排出量の方だ。その意味でとても有効なのが電気自動車や燃料電池車だ。電気バスや燃料電池バスが試験的に走っているところを見ると、航続走行距離とインフラ整備以外は実用段階にきている。政府がガソリン車の使用禁止を法令化すれば排ガス問題はいっきに進むのだが、そんな事をしたら自動車業界と石油業界から猛反発を食らうのは目に見えている事なので、政府としても強気の手が打てないというのが実情であろう。
仮にガソリン車から電気もしくは燃料電池車への完全移行が可能な時代が来たとしても、それは排ガス問題が好転するだけで、環境問題の中のごく一部が好転したに過ぎない。燃料がガソリンから電気や燃料電池に切り替わったところで、自動車の総登録台数が増え続ける限りその車体を作るのに必要な鉄やアルミが必要なわけで、材料を供給する鉄鋼・非鉄金属の業界ではさらに多くの石油や電気を必要とする訳である。リサイクルとかリユースというのも進んできてはいるものの、リサイクルやリユースをするにも水や電気・石油を必要とするわけで、80%のリサイクルを謳っていても資源の有効活用という面での意味は大きいが、エネルギー効率の面ではたいした効果は期待出来ないというのが実情であろう。
これが『環境に優しい』というスローガンを掲げる企業と経済のからくりだ。
本質的に『環境に良い』事を考えると、自動車を捨てて自転車で・・・。自転車だって少量とはいえ材料として金属を必要とするので、自転車を捨てて徒歩で・・・。という事になる。他の業界に関してもまったく同じ事が言える。
つまり、環境問題を本質的に考えることは『自然回帰』という事である。まず、人間が現在の便利・楽という文化を何処まで捨てられるか・・・という問いに各自で答えを出す必要がある。
この事を突き詰めて考えていくと経済活動の根底を覆す状況になってくるので、政府も経済界もこの点に関しては蓋をしてしまっている。議論すら生まれてこない。この事が『環境に良い』と『環境に優しい』という言葉の違いに凝縮されている。
名前を覚えていないので、例としては申し訳ないのだが・・・。昨年、次のようなドキュメンタリーをTVでやっていた。
4年ほど前にある夫婦が都会を離れて離島に移り住んだ。夫婦で環境問題を考えて、自然回帰のための自給自足生活を選択したのだという。夫婦には子供が二人いるが島には学校が無い。当然学校のあるところまで通える環境でもない。子供たちは買い込んだ教材を使い、母親から勉強を教わっている。子供達はそんな生活を嫌がってはいない、むしろ自然の中での生活を楽しんでいるようだ。
その中で問題点が一つ指摘されていた。夫婦は義務教育を子供に受けさせる親としての責任を履行していない事で、国から訴えられているそうだ。
確かに、教育を受けさせる親の責任と言う部分では現在の法律に反している部分はあるかもしれない。しかし、親は学校での国の定めた義務教育の枠を外れただけで、親として子供に教育を受けさせる責任を果たしていないわけではない。子供がそれに不満を感じているわけでもない。また、他の親でも教育を受けさせる責任を果たしていない親はいるであろうに、国から訴えられたと言うニュースは聞いた事が無い。
その程度の話のはずであるが、この夫婦は何故槍玉にあがってしまったのであろうか?
そこには、先程書いた環境問題に対する根本的な議論の部分を避けて、経済界の理論を優先した『環境に優しい』という立場を取らざるを得ない、政府の思惑が見え隠れしている。役人の常套句である『前例がございません!』を使うためにも、環境問題の根本論に触れる前例を作りたくないのであろう。この夫婦の選択肢を認めてしまうと、教育や経済のみならず、税金のあり方など多岐に渡って、今までの慣例としていた資本主義自由経済の進め方にゆがみが生じるからだと推測される。
CO2の排出制限値だとか助成金だとか、『環境に優しい』法整備・法改正は行われている。であるなら、この夫婦のように『環境に良い』行いに対する法律の見直しが行われても良いはずだ、しかし議論すら封じ込められようとしている。何とも御都合主義の話ではないか?
これからの世界は環境問題をぬきには語れない時代になってくるのであろう。研究テーマにするにしても、職業にするにしても、環境関連と言うのは重要な要素となるであろう事は間違いは無いだろう。
かずくんはどういう立場で、この環境問題と向き合っていくのであろうか?実に興味深いw。
まあ、長々と屁理屈と言われかねない理屈を書いてしまったが、実際のところ現在の便利・楽という生活を捨てて、本質的に『環境に良い』という選択肢を選ぶ人はほとんどいないであろう。ちなみに小生は、土地と農業を教えてくれる人がいれば自然回帰型の『環境に良い』生活にチャレンジしてみたいと思っている。(体力的にもう無理かなw)
さて、実際問題としは『環境に優しい生活』しか選択肢の無い人達にとっての問題点を考えてみよう。
『環境に優しい生活』の基本は、環境への小さな気遣いを毎日コツコツと皆で築き上げる、という点につきると思う。
ここでの問題点は、『皆で』という部分だ。『環境への小さな気遣いを毎日コツコツと』の部分に関しては、もうすでに始めている人もいるが、この運動はある水準で伸び悩みを見せるのではないかと推測される。なかなか『皆で』というレベルには到達しないであろう。それは現代の教育と自己中な人間の増加という問題に起因するのではないかと考える。
理屈じゃ分かっていても、「やりたい人がやればいいじゃん」「やるかやらないかは自由じゃん」「他の人がやってれば、私くらいやらなくたって関係ないじゃん」なんて言葉が聞こえてくるような気がする。今の教育状況では環境問題を知識として伝える事は出来ても、やる気にさせる事は難しいと思われる。
環境問題への取り組みは、地球を自分の体や友人のように捉え慈しむようなものだ。その心が教えられるのなら、そもそもいじめ等という事も起きないであろう。大人の社会においても、給食費を払えるのに屁理屈をこねて払わない親とか、談合は止めますと言った舌の乾かぬうちに、また談合を繰り返すような人間達が(社会的対面上、多少はやっている振りをするであろうが)わざわざ環境に優しい生活をするとは思えない。
つまり環境問題一つをとってみても、知識ばかりを詰め込んで心を育てることをおろそかにしてきた現代教育のあり方に行き着いてしまうわけだ。
さて、ここでようやくタイトルの『将来の方向性を変えてみたら・・・』の登場となる。(長い前振りでごめんなさいw)
かずくんは将来は環境関連の仕事に就きたいと思っているようだが、小生は、かずくんには教師の道も考えてもらいたいと思っている。
まあ、教える・育てるという部分に興味や意欲があるかどうか分からないので、無理強いは出来ないが、感想としてそう思ったのだよ・・・w。
20歳前後といえば世間を斜に構えて見たがる年代だ、しかし、高田を面白いと捉えていながらも傾倒する気配が無い。物事を正面からまともに向き合っているように見受けられる。実に好感の持てる青年だ。
ディベートをやっているのも好ましい。
ディベートって、役割によっては自分とは立場や考え方の違う人を演じなければいけない知的ゲームだよね。小生はだいぶ以前に書いてるんだけど、教育にもっとディベートを取り入れるべきだと思っているのだよ。今の子供達には他の人の立場で物を考えるという訓練が効果的なんじゃないか・・・と思ってるからなんだ。
環境関連の仕事を目指すのもいいけど、教師になって環境問題に造詣の深い子供達を世に送り出すのも有意義かもよ・・・。教育官僚を目指すってのもありかな・・・w。
無責任なコメントだけど、どう?
テーマ : みんなに紹介したいこと - ジャンル : ブログ
突然のコメント失礼致します。
私のサイトで、こちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させて頂きました。
http://babyif.blog96.fc2.com/blog-entry-58.html
ご紹介ありがとうございます
教育の現場で働くつもりでいますよ。ただ、それは自分の夢を実現した後、つまり、環境問題に関して何か一つでもやり遂げたと思えるようになった後で、教育界に乗り込みたいと思っています。理由は、単純に自分の夢を追いかけたいというのもあるのですが、自分の夢も実現できないまま教育界に入るのは嫌だと思っているからです。
というのも、僕としては「努力することの重要性」を伝えたいと思っているのですが、自分の夢もかなえられなかった人の語る「努力論」は説得力に欠けるかなーと思ったりするわけです。だから、「僕はやるだけやった」と思ってから、教職なり、塾の経営なりをしよっかなーなんて思ってます。
ではー☆
おみごと!
おみごと!
頑張れ!
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