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DATE: CATEGORY:いじめ 教育問題
このところmixiや2ちゃんねるで『読み逃げ』とか『素通り禁止』、『コメントを残せ』論争がにぎわっている。
どうやら、mixiで「自分の日記を覘いたら、コメントくらい残していけ」というのが発端のようだ。


覘きに来てくれたけど無言で帰ってしまう人の事を考えてみよう。

1、いちいちコメントを書いていたら、その事に時間がかかってその分色んな人の所を覘けなくなる。(タイピングが遅い人に在りがちなタイプ。どちらかと言うと小生はこのタイプ。また、まともなサイトではあるが自分とは考えが違う場合など、その場でコメントしたら長文になってしまう場合が多いので、後日、自分のサイトに反対意見をのせたので良かったら覘きに来て下さい・・・みたいなコメントをする事もある。)

2、コピペでお持ち帰りをして自分のサイトを充実させたいから、正体を明確にしたくないタイプ。(ちょっと詳しい人なら、ある程度は追跡できるのにね・・・。いわゆる困ったさんタイプ。しかし、自分の意見、もしくは自分と同じ意見が広まるのであれば、小生の場合はそれを黙認します。どうぞお持ち帰りくださいw。それでもいいからもう少し人に見てもらいたいよ〜。)

3、コメントするに値しない場合。
仲間同士の連絡板的な物とか、内容の貧弱なもの、読むに耐えない駄文・・・等々。
(小生は昔から一言多いタイプなので、下らないサイトにコメント残すとしたら喧嘩になりそうなので『あえてコメントしない』場合も多々ある。)

まあ、そんなところではないだろうか?


つまり、ROMな人にはROMな人なりの都合があるという事だ。

コメントを残してほしいという気持ちは十分に理解できる。せっかく書いたんだから、なるべく多くの人に見てもらいたい。見たら一言でも良いからコメントを残してほしい。小生も同感である。

しかし、それをマナーだ、ルールだと騒ぐのは如何なものか・・・?

マナーとは、お互いに気持ち良く過ごす為に『相手の事を思いやる』事から自然発生的に生まれてくる共通美意識だと思う。

コメントを残すこと自体は良い事・正しい事と思うが、『コメントを残せ』と騒いでいる連中は、『相手の事をまるで考えていない』自己主張を押し付けているにすぎない。そんな連中が『マナー』と言うのは片腹が痛い。
『コメントを残すのがルールだ』等と言っている連中に至っては言葉も出ない。そもそもSNSやブログ等というものは運営側が引いた『公俗良序に反さない程度の』という最低限のルールの上で、書くのも自由なら見るのも自由というのが大前提のはずだ。そんな中で『コメントを残す』というのは公認ルールではなく、自主ルールであろう。自分のサイトもしくは自分のグループのサイトは『コメントを残さない人はお断り!』という看板でもブラ下げておけ!と言いたい。


今回紹介したこの現象も、自己中な人間を生み出す教育のゆがみのように思えてならない。
相手あっての人付き合い。相手の事を考える余裕が持てれば、いじめももう少し減るのでは・・・と思えてならない。皆さんはどのように感じておられるのであろうか?

テーマ : 徒然なるままに… - ジャンル : ブログ

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DATE: CATEGORY:いじめ 教育問題
タイトルだけじゃ、何の事だか分からんよねw
ごめんなさい。

今日は、先日コメントを残してくれた『かずくん』についてです。
『かずくん』について・・・と言っても、逢った事もありませんし何処の誰なのかも知りません。ブログを覗いて見た印象だけですが、小生の第一印象は結構当たるんですよ。

まずは皆さんも、一度『かずくん』のブログをのぞいて見て下さい。
          ↓
http://kazukame.blog96.fc2.com/

パッと見た印象だけど、可愛らしいモスグリーンベースのテンプレに優しさをうかがえる。まだ始めたばかりみたいだけど、アフェリの為に量産しているブログではなさそうなので好印象!

記事を見ると、高田渡・・・?小生が若い頃のスターやんか!
何で今・・・?
それならついでに岡林も聞いてみたら?たくろうや陽水とは違った良さがあるで!
教育問題のところなどは、論旨明快にして文章も読みやすし。おぬしなかなかやるなw。

バイト?大学生なんだ・・・。歳は19か20といったところか。
その歳で高田か?シャレと皮肉が分かるなんて、なかなか人としての裾野が広そうだね。ますます好印象!

鴨川が好きなんだ・・・。
千葉?京都?
理学部だから環境問題関係に進みたいのか・・・?
もしかして京大?(だとしたらスゴ!)

という事で、今回はかずくんにちなんで環境問題に少しふれてみようと思う。
が、本質的な環境問題を考え出すと、それだけで別ブログを立てたくなるので、ここでは止めときます。

日本で環境問題がクローズアップされ始めたのは15年程前からであっただろうか。93年位からISO9000とか14000シリーズが紹介され始めたが、最初はなかなか相手にもされず、90年代後半から温暖化問題が取り上げられるようになり、ISO9000とか14000シリーズも徐々に浸透し始め、今では企業の環境問題への取り組みは優良企業としての必須条件となってきている。ISO14000の取得も企業のブランディングに必要なレッテルと言えよう。

まあ、やらないよりはやった方が良いのは当たり前なのだが、日本の環境問題への取り組みと言うのは、経済の論理・企業の論理によって掏り代えられている。
『環境に良い』と『環境に優しい』は同じような言葉だが、企業論理の中では大きく違う。
自動車を例に考えてみよう。
自動車業界の環境への取り組みと言えば、燃費効率の向上、ハイブリッド車、電気自動車、燃料電池車という事になる。今のところ低公害車(燃費効率の向上)とハイブリッド車がメインだ。車単体で見た効果は評価すべき点であるが、仮に10%燃費が向上しても、車の稼働率が10%増えたり保有台数が10%増えれば、国全体で見るとプラマイ0になってしまう。増加再生産を信条とする企業論理では今まで1000ccの車に乗っていた人には1500ccの車を勧めるし、販売台数の増加も至上命題だ。
つまり燃費の向上は車単体で見た数字のマジックに過ぎない。問題なのは排ガスの総排出量の方だ。その意味でとても有効なのが電気自動車や燃料電池車だ。電気バスや燃料電池バスが試験的に走っているところを見ると、航続走行距離とインフラ整備以外は実用段階にきている。政府がガソリン車の使用禁止を法令化すれば排ガス問題はいっきに進むのだが、そんな事をしたら自動車業界と石油業界から猛反発を食らうのは目に見えている事なので、政府としても強気の手が打てないというのが実情であろう。
仮にガソリン車から電気もしくは燃料電池車への完全移行が可能な時代が来たとしても、それは排ガス問題が好転するだけで、環境問題の中のごく一部が好転したに過ぎない。燃料がガソリンから電気や燃料電池に切り替わったところで、自動車の総登録台数が増え続ける限りその車体を作るのに必要な鉄やアルミが必要なわけで、材料を供給する鉄鋼・非鉄金属の業界ではさらに多くの石油や電気を必要とする訳である。リサイクルとかリユースというのも進んできてはいるものの、リサイクルやリユースをするにも水や電気・石油を必要とするわけで、80%のリサイクルを謳っていても資源の有効活用という面での意味は大きいが、エネルギー効率の面ではたいした効果は期待出来ないというのが実情であろう。

これが『環境に優しい』というスローガンを掲げる企業と経済のからくりだ。
本質的に『環境に良い』事を考えると、自動車を捨てて自転車で・・・。自転車だって少量とはいえ材料として金属を必要とするので、自転車を捨てて徒歩で・・・。という事になる。他の業界に関してもまったく同じ事が言える。
つまり、環境問題を本質的に考えることは『自然回帰』という事である。まず、人間が現在の便利・楽という文化を何処まで捨てられるか・・・という問いに各自で答えを出す必要がある。
この事を突き詰めて考えていくと経済活動の根底を覆す状況になってくるので、政府も経済界もこの点に関しては蓋をしてしまっている。議論すら生まれてこない。この事が『環境に良い』と『環境に優しい』という言葉の違いに凝縮されている。

名前を覚えていないので、例としては申し訳ないのだが・・・。昨年、次のようなドキュメンタリーをTVでやっていた。
4年ほど前にある夫婦が都会を離れて離島に移り住んだ。夫婦で環境問題を考えて、自然回帰のための自給自足生活を選択したのだという。夫婦には子供が二人いるが島には学校が無い。当然学校のあるところまで通える環境でもない。子供たちは買い込んだ教材を使い、母親から勉強を教わっている。子供達はそんな生活を嫌がってはいない、むしろ自然の中での生活を楽しんでいるようだ。

その中で問題点が一つ指摘されていた。夫婦は義務教育を子供に受けさせる親としての責任を履行していない事で、国から訴えられているそうだ。
確かに、教育を受けさせる親の責任と言う部分では現在の法律に反している部分はあるかもしれない。しかし、親は学校での国の定めた義務教育の枠を外れただけで、親として子供に教育を受けさせる責任を果たしていないわけではない。子供がそれに不満を感じているわけでもない。また、他の親でも教育を受けさせる責任を果たしていない親はいるであろうに、国から訴えられたと言うニュースは聞いた事が無い。
その程度の話のはずであるが、この夫婦は何故槍玉にあがってしまったのであろうか?

そこには、先程書いた環境問題に対する根本的な議論の部分を避けて、経済界の理論を優先した『環境に優しい』という立場を取らざるを得ない、政府の思惑が見え隠れしている。役人の常套句である『前例がございません!』を使うためにも、環境問題の根本論に触れる前例を作りたくないのであろう。この夫婦の選択肢を認めてしまうと、教育や経済のみならず、税金のあり方など多岐に渡って、今までの慣例としていた資本主義自由経済の進め方にゆがみが生じるからだと推測される。
CO2の排出制限値だとか助成金だとか、『環境に優しい』法整備・法改正は行われている。であるなら、この夫婦のように『環境に良い』行いに対する法律の見直しが行われても良いはずだ、しかし議論すら封じ込められようとしている。何とも御都合主義の話ではないか?

これからの世界は環境問題をぬきには語れない時代になってくるのであろう。研究テーマにするにしても、職業にするにしても、環境関連と言うのは重要な要素となるであろう事は間違いは無いだろう。
かずくんはどういう立場で、この環境問題と向き合っていくのであろうか?実に興味深いw。

まあ、長々と屁理屈と言われかねない理屈を書いてしまったが、実際のところ現在の便利・楽という生活を捨てて、本質的に『環境に良い』という選択肢を選ぶ人はほとんどいないであろう。ちなみに小生は、土地と農業を教えてくれる人がいれば自然回帰型の『環境に良い』生活にチャレンジしてみたいと思っている。(体力的にもう無理かなw)

さて、実際問題としは『環境に優しい生活』しか選択肢の無い人達にとっての問題点を考えてみよう。
『環境に優しい生活』の基本は、環境への小さな気遣いを毎日コツコツと皆で築き上げる、という点につきると思う。
ここでの問題点は、『皆で』という部分だ。『環境への小さな気遣いを毎日コツコツと』の部分に関しては、もうすでに始めている人もいるが、この運動はある水準で伸び悩みを見せるのではないかと推測される。なかなか『皆で』というレベルには到達しないであろう。それは現代の教育と自己中な人間の増加という問題に起因するのではないかと考える。
理屈じゃ分かっていても、「やりたい人がやればいいじゃん」「やるかやらないかは自由じゃん」「他の人がやってれば、私くらいやらなくたって関係ないじゃん」なんて言葉が聞こえてくるような気がする。今の教育状況では環境問題を知識として伝える事は出来ても、やる気にさせる事は難しいと思われる。
環境問題への取り組みは、地球を自分の体や友人のように捉え慈しむようなものだ。その心が教えられるのなら、そもそもいじめ等という事も起きないであろう。大人の社会においても、給食費を払えるのに屁理屈をこねて払わない親とか、談合は止めますと言った舌の乾かぬうちに、また談合を繰り返すような人間達が(社会的対面上、多少はやっている振りをするであろうが)わざわざ環境に優しい生活をするとは思えない。
つまり環境問題一つをとってみても、知識ばかりを詰め込んで心を育てることをおろそかにしてきた現代教育のあり方に行き着いてしまうわけだ。

さて、ここでようやくタイトルの『将来の方向性を変えてみたら・・・』の登場となる。(長い前振りでごめんなさいw)

かずくんは将来は環境関連の仕事に就きたいと思っているようだが、小生は、かずくんには教師の道も考えてもらいたいと思っている。
まあ、教える・育てるという部分に興味や意欲があるかどうか分からないので、無理強いは出来ないが、感想としてそう思ったのだよ・・・w。

20歳前後といえば世間を斜に構えて見たがる年代だ、しかし、高田を面白いと捉えていながらも傾倒する気配が無い。物事を正面からまともに向き合っているように見受けられる。実に好感の持てる青年だ。
ディベートをやっているのも好ましい。
ディベートって、役割によっては自分とは立場や考え方の違う人を演じなければいけない知的ゲームだよね。小生はだいぶ以前に書いてるんだけど、教育にもっとディベートを取り入れるべきだと思っているのだよ。今の子供達には他の人の立場で物を考えるという訓練が効果的なんじゃないか・・・と思ってるからなんだ。

環境関連の仕事を目指すのもいいけど、教師になって環境問題に造詣の深い子供達を世に送り出すのも有意義かもよ・・・。教育官僚を目指すってのもありかな・・・w。
無責任なコメントだけど、どう?

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DATE: CATEGORY:いじめ 教育問題
昨日は、とりあえず教育改革問題に関して言いたい事をいってしまったので、ここからは余談として読んで下さい。

小生は安倍さんの言う『美しい国・日本』というお題目は結構気に入ってます。国民の心も体も健全であれは、自ずと国も健全であり、そういう国は美しい国として世界に誇れるものになるだろうと思うからです。
でも、首相就任以来、教育基本法の改正にしろ、教育再生会議の進め方にしろ、不適格教員の排除やいじめをする子供の出席停止等『排斥の論理』が色濃い点を見ていると安倍さんの強引なやり方が目立ちます。若くして総理になって虚勢を張っているのであれば、それも可愛い事と笑っていられるのだが、どうも安倍さんの人間性の本質が出ているような気がしてならない。
つまり、美しい国を実現するためには美しくないものは排除して隠してしまえという発想だ。つきつめていけば安倍さんの意に沿うものしか残らなくなる。安倍さんの意に沿うもので作る安倍さんの思うところの美しい国とはどんな物なのであろうか?
極論すれば、これって日本の北朝鮮化じゃないのか?w。
まあ、それ程の事ではないにしても、安倍さんには少し落ち着いて考え直して頂きたいものだと思う。

安倍さんは『美しい国・日本』のビジョンを語るのであれば、まず、総理よりも自民党総裁として議員の身を正す規範を示すべきであろう。
今も議員特権による税金の無駄使いが取りざたされているが、時代の今昔を問わず、議員には汚職・収賄・脱税などお金がらみのスキャンダルが多過ぎる!
政治家が自身の身を正し、聖職としての政治家像を復権させない限り、教育のように本質的に清くあるべき聖域の議論を交わすにふさわしくない!

以前、小生は柳沢大臣の失言問題に対して擁護する意見を書いた。『一度位は大目に見てやれよ・・・』と言う気持ちでいたのだが、その後、たいして時間をおかずにまた失言が飛び出した。これは幾らなんでも大臣として恥ずかしい、柳沢さんは自ら身を正して辞任するべきだ・・・と思っていた。
しかし、失言騒動の直後の地方選挙で1勝1敗・・・。失言騒動はうやむやに終わってしまった。
マスコミいわく、国民の支持がまだかろうじて自民党にあるので柳沢さんはセーフという判断であった。

何かおかしくないか?

地方の首長選挙は、地方分権が進む時代において、その地域固有の問題と将来性を反映するものであろう。柳沢さんの問題は国レベルの問題だ、失言問題の是非の比重だけで首長が決まるわけではあるまいに・・・。
しかし野党は、その後辞任追求の矛先をひっこめてしまった。

小生が見るところ、マスコミの言うように、失言問題の是非に国民の判断が出たのではなく、野党各党に魅力を感じないからだと思う。
小ずるい政治家の多い自民党と野党を比較した時に、それでもまだ自民党の方が良いや・・・という消去法的な選挙結果だったのではないだろうか。

柳沢問題の直後の様子を見ていると、人の失言に対し、ここぞとばかりに足をひっぱる醜い政治家の姿の方がクローズアップされ、印象に残っただけだった。その後少子化対策に対する政治論争を仕掛けたものの、質疑の内容は素人の小生にでも簡単に思いが及ぶものばかりで、ここでも野党は底の浅さを露呈してしまった。

現状にケチをつけるだけなら小生にも出来るわいw。政治家として特権に浸っているのなら、長期ビジョンでのウルトラCと思えるような打開案を出してほしいものだ。それでこそ政治のプロなんだろうが!それが出来ないのなら、せめて聖職として身を正せ!野党議員にも特権は等しく適用されているのだから。対自民党とのバランスを保つためだけに存在する野党議員そのものに税金の無駄を感じてしまう。

政治、特に国政レベルの政治では外交問題というブラックボックスを抱えているのだから、政治が「奇麗事」では済まず、「清濁合わせ飲む」ことが必要な場合もあるであろう事は容易に想像される。
小生は政治家というのは文化ヤクザだと思っている。政策だけなら政治学者が考えてもなんら遜色は無いであろう。政治家に問われるのは政策+実行力だ。実行力とはバイタリティーのある調整力だと思うが、この調整力が曲者で、力業と言われる綺麗事では済まされない部分を多分に含んでいる。それ故、力のある政治家と言われる人ほどスキャンダルのネタも抱えているものだ。

それらの事を好しとするかどうかは人それぞれであるが、小生は、一般的に政治家というのは性悪説的に捉えている。だから文化ヤクザだと思うのだ。
汚い事をやっている自覚があるから政治家は『先生』と呼ばれたがる。自分も先生と呼ばれたいから他の議員の事も先生と呼ぶ。そういうバカな人種なんだと思う。政治家に限らず、世の権力の座に着いた人は同じようなタイプの人が多い。

ただ、少数ではあるが、そうでない清廉潔白・聖人のようなタイプの政治家・権力者がいることもまた事実である。そして残念な事に、その事が物事を分かりにくくしているのであろう。

でも小生は、政治ヤクザタイプの政治家や権力者を否定している訳ではない。1億の収賄をしても10億の国益に繋がる仕事をしてくれれば、それはそれで良しだと思う。そういうタイプの人は結果で評価すれば良いのだと思う。
困ってしまうのは、聖人面をしてヤクザまがいの権力を行使し、にもかかわらず、結果が出せない連中だ。
また、これらの事が、本音と建前とか裏表みたいな二重構造を社会に生み出し、物事をややこしくしてくれる。

安倍総理は所信表明の時に、政治ヤクザ・聖人政治家、自分はどちらのタイプの政治家であるのか、これからどちらのタイプの政治を目指すのか、はっきりさせるべきだったのだと思う。

総理が政治ヤクザタイプを自認しているのなら、柳沢大臣や松岡大臣を大目に見ることや、教育再生会議に見られるような強引な物の進め方も理解できる。しかし、そうであるならば、『美しい国・日本』というスローガンは滑稽だ。
逆に、総理が聖人政治家タイプであるなら、抽象的ではあるがスローガンは素晴らしい物に思えてくる。しかし、そうであるなら、まず安倍政権が身内の醜さや濁りを取り払い、透明で清廉潔白な政治を行わなければおかしいはずだ。松岡大臣のミネラルウォーターやや自民党都議団公費の使い方は、どう見ても政治ヤクザの感性であり、美しい政治とは程遠い物である。リーダーが本当に美しい国を目指すのであれば、まず自分の身を律し、身内の醜悪を正していかなければ、国全体が美しくなるとはとうてい思えない。

安倍さんや政治家ばかり悪く書いてしまったが、西部のアマチュアに対するリベート問題しかり、建設業界の談合問題しかり・・・である。

プロ野球オーナー会議で学生への金銭享受は止めると宣言したのに・・・。鉄鋼・重機大手15社のトップが談合決別宣言をしたのは2年程前であったろうか、同時期に大手ゼネコンも談合決別宣言を出した。ところが最近、名古屋の地下鉄を舞台にした談合の新聞記事を目にした。よく読むと、その談合決別宣言の直後から談合を繰り返していたそうだ。清廉な精神と醜悪なまでの経済意欲という、大人の社会の本音と建前を顕著にあらわす笑い話である。

もっと笑えるのが、経団連会長の御手洗さんがおっしゃっている『御手洗ビジョン』だ。小泉さんの改革路線を継承しつつ、安倍総理の「美しい国」に調子を合わせて『希望の国・日本』と銘打ち、素晴らしい内容の御高説を唱えていらっしゃる。

しかし、よく考えてほしい。

経団連会長といえば、財界総理とも言われる経済界のドンである。総理が『希望の国・日本』というビジョンを提唱しているその足元で、大臣とも言える大手企業が談合決別宣言という表の顔と、相変わらず談合を続ける裏の顔を駆使して舌を出しているのである。
実に笑える構図だと思いませんか?
『御手洗ビジョン』なんてマスコミ向けのリップサービスは、とっとと『お手洗いにドボン』と捨ててw、経済界のモラルを建て直せ!と言いたいものだ。

今回、何でこんな話を長々としたかと言うと・・・。

小・中・高校生がこういう話を詳しく知っているとは思えないが、大人の社会の本音と建前みたいな、矛盾やずるさを感じている子は多いのではないかと思うんです。

だから、いくら大人が教育改革だなんて騒いでみても、当人たちにしてみれば『だから何・・・?』程度の冷めた反応しか生まないのではないか・・・と思うのです。

冷めた反応だけなら、まだましです。
ちょっと頭のまわる子なら、自分が大人になって船出をする社会という海は、聖人の仮面を被って隠れて悪さをした方が、楽に美味しく航海が出来るぞ!と気がついてしまいます。
学校は社会に出る準備をする所だから、良い子の振りをして適当にやってりゃいいさ!
いじめっ子をはじくだと?見つからないようにもっと上手くやればいいさw。

小生にはそんな風に考える子供が沢山いるような気がしてなりません・・・。

よく『親の背を見て子は育つ』と言いますが、『大人の社会を見て子供達は育つ』という事を念頭に置かなければならないと思います。
その意味で、世のリーダーさん達は、『教育改革を語る前に、我が身と身内を正せ!』と、声を大にして言いたかったのです。

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DATE: CATEGORY:いじめ 教育問題
長い事更新しなくてすいません。
PCが又故障して、修理に出していたりして・・・、
てのは、言い訳なんですけど・・・w。

最近の世間の動きを見ていると、ミクロでは的を得ていてもマクロではおかしいだろうと思えるような事が多くて、言葉につまってしまうというか・・・、自分でも訳が分からなくなってきて、なかなか文章がまとまらないんですよね・・・すいません。

いじめた子をはじくとか、ダメ教師を切るとかが法案として検討されているみたいですが、どうしようもなければ仕方が無いか・・・という気もするのですが、これは対処療法としての最終手段であって、今必要な事なのか?国が法律として決める事なのか?という事に大いに疑問を感じてしまいます。

そもそもいじめの問題は、自殺者が出るところまで教師が気がつかない点と、生徒の方も教師に相談するほど期待していない点、いじめていた側が次はいじめられる側になるかもしれないという現代的側面が問題なんだと思うんです。
いじめた側をはじく事より、いじめの兆候を見つけて対処出来る教師・生徒のあり方を問う段階だと思います。教師に関しては質の問題にと教師の立場の問題になりますから、確かに、ダメ教師を切るとか、免許更新制とか、体罰容認論とかが出てくるのは分かります。でもこれはダメ教師のレッテルを貼られるその人だけの問題なのでしょうか?一般企業で考えると、ダメ社員の責任は半分で、残りの半分はそのダメ社員を採用した人事と、入社後に教育を担当した部署・上司の責任が問われるはずです。
今のこの社会状況を作った政治家・官僚・教育委員会・教育審議会。そういう所の人たちはどう責任を取るのであろうか?結果に責任を取らない人たちが一段高いところで御高説をの賜っても、目先を変えてごまかしているようにしか思えない。

生徒のあり方を考えてみよう。いじめた子をはじくとか、何度注意してもいじめ体質の改善されない子には体罰を・・・とか言ってるけど、それっていじめが表面化して問題になった後の話だよね。今取り組まなきゃいけないのは、まず、『そうなる前にどうするか』だろうが!
だいぶ以前に書いたけど、いじめを見て見ぬ振りをするその他大勢の生徒が問題なんだと思う。
これは二昔以上前から、アメリカかぶれした有識者が、『自由』と『自己主張』と言う言葉を安っぽく使ったおかげで、今の子供たちにはそれが『身勝手』と『我まま』にすり替わってしまってる事が問題なんだと思う。

授業時間を増やす・・・
   そんな枠組みをやる事が今必要なのか!
学力をのばす・・・
   人格の伴わない知識なんて、小ずるいやつを生むだけだ!
初等教育での英語教育・・・
   英語がしゃべれると人間性が増すのか・・・?
尊敬語・謙譲語が今よりも細分化されて義務教育の内容に入るとか・・・
   知識としての尊敬語・謙譲語よりも、実生活の中で
   年長者や努力をしている隣人を敬う気持ちを
   育てることに心を砕いたらどうなの?

ケチばかりつけてしまったが、今書いてあることは、個々の事象としては有意義な事であり何も否定する必要は無いのであるが、『いじめ・自殺』問題が再燃し『教育再生会議』なるものを召集しなければならない今の状況下において、わざわざ優先議題だとか法改正だとかやっているバカな政治家や官僚を見ていると、『三文芝居』を見せられているようで胸糞が悪い。
官邸主導の教育改革のあり方は、どうしても上から管理を厳しくして、おとなしく言うことを聞いて、勉強しているだけの子供を、育てようとしている気がしてならない。教育という箱の枠組みを変えれば、中に入っている生徒も箱に合わせてそのうち変わるさ・・・といっているようにしか思えない。いわゆる刑務所教育のようなものだ。
事の運び方を見ていると、やはりこの国の指導階級の人たちはロボットのような枠にはまった庶民をお望みなんだと思えてしまう。
この辺が小生の中では、最初に申し上げたミクロとマクロの葛藤要因になっている。

教育が今軌道修正するべき事は、形だけの枠組みの中にはめる教育ではないはずだ。『自由と自己責任』はセットである事、『悪い事を悪いと言う勇気の無い自己主張は、ただの自己中の遠吠えだ』という事を、いかに学生生活の中で理解し成長していくかが大切なのだという点を再確認してもらいたいものだ。たぶん再生会議ではそういった事も話し合われているのだろうが、その辺が表面化せずに、教育機構論・体制論のような枠組みばかり表面に出てくるのは、はなはだ残念でならない。(今日はここまで、次に続く)

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DATE: CATEGORY:いじめ 教育問題
アキさんは、いじめられっ子なのかな?

確かにいじめは無くならないだろうなと思います。
でも、状況はきっかけがあれば変わっていくものですよ。

いじめた相手を嫌う、憎む、死んじまえと思う気持ちは分かります。
でも、そういう風に思っていると、いじめていないその他の人たちとも距離ができちゃいますよ。そしてその距離はどんどん開いていく・・・。
良いことなんて何にもありませんよ。

仮に、いじめた相手がアキさんに謝ったとします。
親に言われたのか、先生に言われたのか、上司に言われたのかは分かりませんが、『ごめんなさい』と言ったとします。

『口先だけで本心かどうかわかりゃしない』、『謝ったくらいで済む問題か』そう思いますよね。そう言い返したいですよね。
そんな時アキさんは『本当に悪いと思っているのなら、死んで詫びろ!』と言うのですか?

そんな事を言っていたら、憎しみの連鎖が広がるだけで、世の中どんどん悪い方向へいってしまいます。今よりもっと生きにくい世界になってしまいますよ。
世の中に、完璧な人間なんていませんからね。皆どこかで間違いを犯して、謝って、反省して、変わっていくんです。

先日自殺したいじめた側の中学生だって、以前はいじめられる側の子だったみたいですね。他の子たちが本当に反省して謝っていたのかどうかは分かりませんが、この子は死を選ぶほど反省していたんでしょうね。アキさんはそんな子にも『死んで当然だ』とツバを吐き掛けるのですか?
いじめでないにしても、逆にアキさんが間違いを犯した時に、誰も許してくれませんよ。そんな考え方をしていると、アキさんの味方をしてくれる人もどんどん居なくなってしまいますよ。

アキさんは初めてコメントを残してくれた奇特な方だから言うんです。
しつこくてごめんなさいね。
誰もコメントを残していない所に、最初にコメントするのってチョット勇気がいりますよね。そうやって現実の世界でも一歩踏み出してみませんか?
もし、アキさんに『いじめてゴメン』と言う人が出てきたら許してあげましょうよ、いや、許すんじゃなくて『今まで鍛えてくれてアリガトウ』と言えるくらいの広い心を持ちましょうよ。

いつでしたか、友達の消しゴムを拾ってあげただけで『偽善者』と言っていじめの火種を作ったバカな教師がいましたね。その教師に言わせれば小生の言ってる事は『大偽善者』になるんでしょうかねw。
でもね、そういう心構えで生きていると、アキさんの周りには自然と優しい人が増えてくると思いますよ。

まあ、いきなりこんな綺麗ごとを聞かされてもすぐには納得できませんよね。
でも、事あるごとに思い出してください。
世の中そんな風に少しづつ変えていくしかないんですから。

アキさんに幸あらんことを祈りつつ・・・。

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